「うッ、うわあああッ!?」
掴まれた所を起点にして、右足の膝から下までが“砂”に変わった。
さっきまで優位に立っていた余裕は吹っ飛び、尻餅をついた少年は無様に悲鳴を上げた。
足を奪われた。
これで、もう走って逃げることは出来ない。
「ふッ……ふふふふ、くッ、くふふふふッ……」
――フン、ざまあ見なさい……。所詮あんたは、駆け引きじゃあ“ド素人”なのよッ!
李依は、込み上げる笑いをこらえ切れずにいた。
全てが自分の思惑通りに運んだのだ。
少年の『スタンド』の攻撃は確かに効いたが、そのダメージからは、とっくに立ち直っていた。
元々、打撃を受けることには慣れている。
気絶したフリをして体力の回復を図ると同時に、反撃のチャンスを待っていたという訳だ。
こうして倒れたままでいれば、必ず生死を確認しにくるだろうと思っていた。
“素人”である少年の心の弱さにつけ込み、見事に“読み合い”に勝った。
闘いの“プロ”としての“プライド”を、これで挽回したことになる。
しかし、まだ当初の目的は果たしていない。
この少年に最後のとどめを食らわせる――それで全ては完了するのだ。
「ははははッ!これでおしまいよッ!この何も知らないクソ生意気なガキが――」
言い終わる前に言葉が途切れた。
自分の前に『プレイグス』を出して起き上がった李依が叫んだ時、何者かが彼女の後頭部を強打したのだ。
予想していなかった強い痛みと衝撃で、李依の思考が停止する。
その瞬間に、再び同じ箇所を殴りつけられる。
「あ、あッ……?」
李依は、今度こそ本当に力をなくして倒れ伏してしまった。
彼女の背後に、右足が欠けた『ボトム・オブ・ザ・トップ』がいた。
しかも、その手には、ごつごつした大きめの石が握られている。
表面に血が付着している所を見ると、これで殴ったのだろう。
『ボトム・オブ・ザ・トップ』は、パワーを上げればスピードが低下してしまうのが弱点だ。
しかし、このように“凶器”を持てば、ある程度までは補える。
この方法が使えるのは、本体を攻撃する場合に限られるものの、スピードを落とすことなく、殺傷力を高めることが出来る。
うつ伏せになっていた為に李依は見えなかったが、少年の方も、もしもの時を考えて用心していたのだ。
『ボトム・オブ・ザ・トップ』には、パワーとスピードの両方を犠牲にして射程距離を伸ばす能力もある。
これを利用し、石を投げた後に、秘かに『ボトム・オブ・ザ・トップ』を遠回りで李依の後ろに配置させていた。
そして、もう一度石を拾わせて、もし李依が起き上がってきた時に攻撃する準備をしていたのだった。
冷静になったとはいえ一度はキレかけた李依は、自分の作戦に集中していたこともあり、そこまで考えが及ばなかった。
だからこそ、さっきは注意していた筈の、“目が届かない死角”からの攻撃の可能性を忘れてしまっていた。
――この“読み合い”……私が先手を取った……。でも、結果は互角……。いえ……そうじゃあない。正面からノコノコ近付いてきたのも、後ろにいた『スタンド』に目を向けさせない為だった……。それを見抜けなかった私の……負け……。
李依の頭から流れた生暖かい血が、地面に向かって滴り落ちる。
その様子を、李依は見るともなく、ぼんやりと眺めていた。
何度も頭を攻撃されたせいか、眼前にある風景が霞んで見える。
今の“凶器”による打撃に込められていたのは、“立ち向かう意志”でもなければ“敵意”でもない。
それは“殺意”と表現されるものだった。
「私は、彼に殺される」――そう思った。
もう二度三度と、繰り返し同じ力で殴打され続けられれば、たとえ『スタンド』のパワーが人間並みだとしても、恐らく致命傷になるだろう。
たった今、背後をとっている彼がそれをやるのは、缶コーヒーのプルトップを開けるくらいに簡単だ。
――せっかく逃げてきたのに……。こんな所で……こんな子供に殺されて終わりだなんて……。洒落にしちゃ随分キツイわね……。
その後ろで、『ボトム・オブ・ザ・トップ』が、石を握った腕を振りかざした。
――ちっくしょう……!俺の……俺の足が……!この女、ブッ殺してやる……!
少年は悟った。
“手加減”だとか“生死の確認”などという生温いものは、最初から不必要だったのだ。
それどころか、この闘いにおいては、自分の身を危険に晒す可能性を増やすデメリットでしかなかった。
思えば、相手は最初から“本気”だった。
“本気”で、この俺を消そうと襲ってきた。
それならば、こちらも“本気”でかからない限り、勝ち目はないのだ……。
この場合の“本気”というのは、“本気で相手を殺す意志を持つ”という意味である。
足を失ったことで、自分の甘さが身に染みて分かった。
――くそ……くそ……。なんで、俺がこんな目に……。くっそぉ……。
涙が溢れ出てくる。
ここから解放される為には、この女を殺さなくてはならない。
少なくとも、殺すつもりで攻撃するというくらいの心構えをしなくてはならないのだ。
やられる前にやる――。
そうしなければ、足だけではなく命まで取られてしまう。
しかし、彼は躊躇した。
“本気”にならなければいけないと分かってはいても、出来るかどうかとは話が別だ。
ごく普通の常識と感覚を持ち、穏やかに生活してきた少年は、ここに至っても、到底そんな度胸はなかった。
――駄目だ……。無理だ……。俺には無理だ……。そんな恐ろしい事を出来る訳がない……。
彼の意志に呼応して、『ボトム・オブ・ザ・トップ』が、静かに腕を降ろす――。
しかし――その判断が、彼にとって決定的な命取りになった。
少年には躊躇いがあったが、李依にはなかった。
また、何としても少年を“砂”にしてしまわなければならないという衝動と、そこから生まれた決意があった。
そもそも、二人が置かれている立場や、今まで歩んできた人生が違いすぎたのだ。
少年の『スタンド』が攻撃をしてこないと知ると、『ザ・プレイグス』を後方に向かせ、李依は反撃に転じた。
『プレイグス』の豪腕が、『ボトム・オブ・ザ・トップ』の右腕を直撃する。
その部分が“砂”と化し、さっきまでの闘いが嘘のように、いともあっけなく散っていった。
『ボトム・オブ・ザ・トップ』が握っていた石が地面に落ちる。
少年は、もう声も出なかった。
為す術は何一つとしてない。
今の少年には、“殺意”はおろか“敵意”すらなかった。
右足に続いて右腕までも失った彼の表情から見て取れるのは、“驚愕”と“恐怖”の色だけである。
もはや決着はついた――。
しかし、李依は手を止めようとしなかった。
右、左、右と、少年の『スタンド』が完全に“塵”となってしまうまで、休みなく腕を振るって攻撃を加え続ける。
『プレイグス』が動きを止めた時、そこには、もう少年はいなかった。
彼の『スタンド』――『ボトム・オブ・ザ・トップ』と共に、本体である少年の肉体は“砂”に変えられている。
最後には、少年の“中途半端さ”と『スタンド使い』としての技量、お互いに“背負っているもの”の差が勝敗を決したのだ。
「――終わった……」
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