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打ち寄せる波は砂の城を崩す―その3―

事の始まりは、今から数十時間前――昨日の午前23時30分に遡る。
言うまでもない事だが、受刑者である李依は獄中にいた。
簡素なベッド――寝床というには、まさしく最低限のもの――に身体を横たえて、うつらうつらしていた時に、自分の背後で何か物音が聞こえたような気がした。
しかし、それを確認しようという意欲は起こらなかった。
どうせ空耳に決まっている。
聞こえたように思えただけだろう。
起き上がるのも面倒だし、ようやく訪れた眠気を振り払ってまで、いちいち確かめる必要はない。
むしろ、睡眠を邪魔されたくないという気持ちの方が大きかった。
「チッ」
思わず小さな舌打ちが出る。
ふとした拍子に、つい考えたくもない事が頭に浮かんでしまったのだ。
――私は、まだ諦められないのだろうか。
石神李依(いしがみりえ)、27歳。
罪状は傷害罪――早いもので、ここに収監されてから数年が経過している。
ここに来る前の李依は、有望な女子プロボクサーだった。
日々の鍛錬は欠かさず、目標があり、それを実現するだけの実力もあった。
昔は引っ込み思案な性格だったが、ボクシングを始めたことで自分を磨き、自信を持てるようになったのだ。
李依は、自分が変わったことを実感し、それを喜んでいた。
弱々しく臆病だった昔の自分を、“過去に出来た”ことが何よりも嬉しかった。
真っ黒の髪をばっさりと切り、目の覚めるような明るい金色に染めたのも、生まれ変わった自分を見て欲しいという理由からだった。
だが――今では、その自分すら“過去の自分”になってしまった。
ある日、数人の暴漢に襲われている女性を助け、逆に相手を叩きのめしたことが、転落のきっかけとなった。
暴漢の一人が大企業の社長のドラ息子で、彼の父親が、悪質な傷害事件の“容疑者”として李依が逮捕されるように仕向けたのだ。
暴漢側に不利な事実は揉み消され、李依が助けた女性は、幾らかの金と引き替えに口をつぐんだ。
裁判の結果、この事件は李依の方から一方的に暴行を加えたことになり、実刑判決が下された。
その上、裏から手を回されて、李依の刑期は通常の場合に比べて意図的に長引かされている。
まだ、ここからは出られそうにない。
――けど、もう出た所で……。どうしようもないじゃない……。
プロとしての道は、とっくに閉ざされている。
一度でも犯罪者のレッテルを張られてしまったら、仮に出所しても、復帰することは叶わない。
こうなってから、李依は思った。
何かを築くのは難しい。
しかし、築き上げたものを崩すのは、笑ってしまう程に簡単だ。
努力すればなどと物知り顔で口にする人間もいるが、中には取り返しのつかないこともある。
李依の場合も例外ではなく、それは実に簡単なことだった。
たった一度の過ち――それだけで、李依は自らが“誇り”としていた生き方を失った。
さしづめ、小さな子供が一生懸命に作った砂浜の“砂の城”を、“打ち寄せる波”が、いとも容易く消し去ってしまうようなものだ。
一度手にした“生き甲斐”を奪われるというのは、想像を絶するものがあった。
耐え難い苦痛――そんな言葉で表現することは不可能だった。
今では、彼女の感覚が麻痺してしまったのか、その苦しみも多少は薄れている。
慣れてしまったのかもしれない。
慣れてしまった――これには、彼女だけにしか感じ入ることの出来ない、深い悲しみが秘められている。
何故なら、それは彼女自身の心が、もう自分に希望がないと悟ってしまったことを意味しているのだから……。
それでも、自分の志した生き方を、簡単に捨てられるものではない。
みっともないとは思うが、もしかしたら、今でもプロとして再起が出来るんじゃないかと考えてしまうことはある。
このような底辺と言える状況にあっても、その思いだけは、完全に捨てることが出来なかった。
しかし、希望がないと分かっていながら諦めきれないことほど辛いものはない。
戻ろうとしても戻れない。
戻ったとしても意味がない。
“過去の自分”と“今の自分”の狭間で、李依の心は足掻き続けていた――。

当時の記憶を辿ってみると、李依自身に全く責任がない訳ではない。
実際、調子付いたことで勢い余って、素人と分かっている相手を過剰なまでに痛めつけたのも事実だ。
ビビッて案山子みたいに突っ立っている男の頬を殴り飛ばして前歯をへし折ったし、例のドラ息子の方は、顔面の急所をまともに打たれたせいで、鼻の骨が砕けて無様にのたうち回っていた。
良心の呵責はなかった。
それを見ても何とも思わなかったし、逆に愉快でさえあった。
――いい気味。こんな奴らは、もっと苦しめてやらないと。
彼らを冷たく見下ろした李依は、鼻を押さえてうつ伏せに倒れている男の横っ腹に蹴りを入れたのだ。
ああいう行動を取った背景には、李依の中に暴力を振るうことを楽しむ心や、自分より弱い者をいたぶることを楽しむ心があったのかもしれない。
――出来れば誰かに教えて欲しい。
私は、何処で間違ってしまったのかを――。
例の女性を助けたりせずに、見て見ぬ振りをして素通りすれば良かったのだろうか。
いや……これが過去の自分を捨て去ったことによる弊害だったとすれば、ずっと昔のままの弱い自分でいれば良かったのか?
一生を鳥籠の中で終える鳥のように、大人しくじっとして、羽ばたくことに目を向けたりしなければ……。
それとも――これは最も残酷な答えだが、表に出ていなかっただけで、最初から自分はそういう人間だったのか……。
元々李依の心に獰猛な獣が潜んでいたとすれば、もし無事に現役選手であり続けたとしても、いつかはリングの上でも“やりすぎてしまった”可能性はある。
そうだとすれば同じことではないか。
李依は、自嘲するように唇を歪めた。
――はっ……。結局……どう転ぼうが、こうなったかもしれないわね……。
いくら考えても、納得の出来る結論など出てこないのだ。
だから、無理にでも自分に言い聞かせるしかない。
こうして自分自身を顧みていると、李依の思考は、いつも出口のない堂々巡りに陥ってしまうのだった。
無限に広がる空虚な――それでいて複雑極まりない精神の迷路。
李依の肉体は刑務所に囚われていたが、それと同時に、あの事件以来の李依の心も、この答えのない迷宮に幽閉されているのであった。

……何だか随分と余計なことを考えてしまった。
これ以上気分が悪くなる前に、さっさと寝てしまおう。
李依は固く目を閉じ、意識を手放して泥のような眠りの中に沈むことに集中し始めた。
だが、突如として聞こえてきた、妙にはっきりと聞こえる男の声が、李依の意識を、たちまちの内に現実世界に引き戻した。
「――世の中というのは不公平なものだ。君は……どう思うかね?」
声の主は、自分のすぐ近くにいる。
急速に覚醒した李依は、ベッドから跳ね起きた。
「例えば、同じ人間でも色々な違いがあるだろう?中にはマイノリティと呼ばれる人間もいる。それは個性だから尊重すべきだと言うが……。実際の所、この社会は、そういった人間が損をするように出来ているのだよ」
李依の驚きや警戒心など意に介していないように、男は更に続けて言った。
聞き覚えのない低い声だ。
俯いた顔には不自然な程に濃い影がかかり、顔立ちは勿論のこと、その表情は全く読み取れない。
そもそも体格や声から男だと分かっただけなのだ。
「もっとも、私に言わせれば人間には“二種類”しか存在しない。君はどちらかな?」
その男は、微かに笑ったようだった。
「さっきから……何を言っているのか分からないわ……。あなたは誰?」
思いがけず訪れた、この奇妙な訪問者は、一体何を言おうとしているのか。
李依にとって重要なのは、そこではなかった。
彼女が注目したのは、この男が“どうやってここに入ってきたか”という点である。
徐々に冷静さを取り戻すにつれて、男から何か聞き出せるのではないかという考えが頭に浮かんだのだ。
ここは刑務所で、今日の面会時間は、とうに終わっている。
見たところ関係者にも見えない人物が、おいそれと簡単に入ってこれる場所ではない。
しかし、入れたということは、当然ながら出て行くことも出来ると考えられる。
もしかしたら、自分もここから出られるかもしれないという淡い期待が、李依の背中を後押しする。
――もし、ここから出られたら……。もう一度やり直すことが出来るかも……。
明日への希望に対する一縷の願いが生まれ、暗闇を照らす光明の如く、李依の心に差し込んだ。
そうなると――どうすべきか。
この得体の知れない人物に対して、単刀直入に尋ねるべきだろうか?
「私の事など、どうでもいい。ところで、私が“どうやって入ってきたか”を、しきりに気にしているようだが……。まあ、無理もない」
男は、勿体ぶって一度言葉を切り、再び口を開いた。
「その気があるなら、ここから君を出して自由にしてあげようじゃないか……。こんな会話などせずに、さっさと本題に移ってもよかったんだが、少し話がしたくなったものでね」
「本当に……!?それは本当なの!?」
――読まれていた……。でも、多分この男は嘘を言っていない……。
そうしてくれるつもりがあるかどうかは別にして、少なくとも出すこと自体は可能な筈だ。
ここに男がいることが、何よりの証拠になる。
また、わざわざこんな場所に来たのは相応の目的があるからだと考えれば、“出してやる”という言葉自体も信憑性を帯びてくる。
夜の散歩で、刑務所の、それも獄中に忍び込む酔狂な人間など、そうはいないだろう。
「――勿論だ。私は嘘が嫌いでね……。君には進むべき“二つの道”がある。もし出たくないというなら、私は帰るとしよう。君は刑期が終わるまで無事にお勤めを果たせばいい」
この男の口車に乗っていいものか。
でも、乗らないとすれば――。
どうせ、かつての日々には戻れないと頭では分かっていても、心は激しく揺れ動く。
出られたならば、もしかしたら――。
――もしかしたら、戻れるかも。
李依は少しの間だけ迷い、そして決断した。
「……分かったわ。私は、“ここから出たいの”……。お願い……」
最後の一言は、絞り出すような声だった。
その返事を聞いた男は満足げに頷き、両腕を掲げた。
――男の手に何か細長いものが握られている。
それは、作られてから数百年は経っていると思われる、古めかしい一対の『弓と矢』だった。
男は、『矢』を『弓』につがえて弦を引き絞り、李依の胸元へと狙いをつけた。
窓から差し込んだ僅かな明かりが鏃に反射して、冷たい輝きを放っている。
「なッ……!?」
李依は、入り口の鉄格子を背にしてうろたえた。
単なるアンティークではない。
男は、それを“本来の用途”で使おうとしているではないか。
銃やナイフではなく、時代錯誤も甚だしい『弓矢』という所が、男の不気味さを一層引き立てている。
「石神李依――君の未来に幸あれ」
――こんな男を信用したのが間違いだった……!もっと警戒していれば……!
「誰かッ――」
看守を呼ぼうとした李依の言葉を遮って、矢は一直線に飛び、寸分違わず、その胸を貫いた。
今まで感じたことのない激痛が走る。
瞬間的に死を意識する程の痛みだった。
とても立っていられない。
李依の身体は、膝から崩れ落ちた。
思わず胸に触れた自分の両手が真っ赤に染まっている。
「おめでとう。これで君には『スタンド』が身についた。だが、同じ『スタンド使い』には気をつけることだ。『スタンド』は『スタンド使い』だけが認識出来る。そして、『スタンド使い』を止められるのは『スタンド使い』だけなのだから……」
――『スタンド』……?
李依の視界の隅で、男の姿が風景に溶け込むように滲んでいき、やがて消えた――。

気付いた時には、男は影も形もなかった。
それだけではない。
痛みもなければ、胸の傷も消えていた。
「う……夢……?」
まだ意識が朦朧としている中で、ベッドに手をかけて立ち上がろうとする。
「あッ!?」
突然支えを失って、李依は再び床の上に倒れた。
さっきまで触れていたベッドが消え失せたのだ。
いや、“消えた”という表現は正しくなかった。
ベッドが設置されていた場所に、おびただしい量の“砂”がぶちまけられている。
「こ……この“腕”は……!?」
李依の腕に重なるようにして、もう一本の何者かの“腕”が見えるのだ。
筋肉質の李依の腕よりも太く、いかにも頑丈そうな“腕”は、李依自身と同じ動きをしているようだ。
その“腕”で鉄格子の内の一本に触れてみる。
李依が思った通り、丈夫な鉄格子は細かい粒子に変わり、まるで“砂”で作られた模造品のように容易く崩れ去った。
「そう……。“分かったわ”……」
もはや見えているのは“腕”だけではなかった。
“首から上がない石像”の全身が、李依の傍らに立っている。
李依は、本能的な直感で全てを理解した。
これが、もう一人の自分――『ザ・プレイグス』の“能力”だということを……。
それから後に、彼女が何をしたか――その過程については説明するまでもない。
『ザ・プレイグス』の“能力”を使い、刑務所の外に出た。
客観的に見れば、無計画きわまりない行動だ。
ただ逃げ出しただけでは成功とはいえない。
ましてや行くあてもなく、協力してくれる人間もいないとなれば、いずれ捕まるのは明白だった。
しかし、どんな小さな希望にも縋りたいという状況で、「自由を得られるのだ」と吹き込まれた上に、その為の力を与えられて、「ここから出たい」と少しでも思わない人間がいるだろうか?
それを思えば、誰も彼女を責めることは出来ないだろう……。
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プロフィール

研究員D

Author:研究員D
「ギリギリ映らない画面端にいるエキストラ研究員」のイメージというのが名前の由来。
基本的に特撮ヲタ。
また、マイナーなものに惹かれる体質。
特撮全般および一部のアニメや漫画(マイナー作品とか古いの)を愛する。

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